日ソ共同宣言の交渉を全権として担った当事者による国交正常化交渉の振り返り。タフな交渉であったことはもとより、今も未解決となっている北方領土問題のルーツが国交正常化交渉であることを知っておくことの意義は日本人として大きいのだと思います。「外務省のラスプーチン」と呼ばれた元ロシア駐在外交官の佐藤優さんによる解説も勉強になります。


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北方領土・北方四島とは国後・択捉・歯舞・色丹を指します。北方領土は第二次大戦以降ロシアによって実効支配されていますが、日本政府としては「北方四島はわが国固有の領土」というスタンスです。しかしながら、この本を読むと北方領土問題にまつわる日本とソ連・ロシアとの根深い解釈の相違があることがよく分かります。日本がいくら領有権を主張したところでロシアが主権を放棄する可能性は非常に薄そうなのです(歯舞・色丹についてはチャンスがあるかもしれませんが、国後・択捉を含めた満額返還はおそらく無理)。
そのため、「領有権」というゼロサムで考えるのではなく、「経済協力」や「日ロ戦略的提携」のような勝ち負けのないやり方で緩やかな関係を維持するのが得策なのかなと思います。
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北方領土・北方四島とは国後・択捉・歯舞・色丹を指します。北方領土は第二次大戦以降ロシアによって実効支配されていますが、日本政府としては「北方四島はわが国固有の領土」というスタンスです。しかしながら、この本を読むと北方領土問題にまつわる日本とソ連・ロシアとの根深い解釈の相違があることがよく分かります。日本がいくら領有権を主張したところでロシアが主権を放棄する可能性は非常に薄そうなのです(歯舞・色丹についてはチャンスがあるかもしれませんが、国後・択捉を含めた満額返還はおそらく無理)。
そのため、「領有権」というゼロサムで考えるのではなく、「経済協力」や「日ロ戦略的提携」のような勝ち負けのないやり方で緩やかな関係を維持するのが得策なのかなと思います。
この本を読むとわかること
発端
- 日ソ国交正常化の言い出しっぺは鳩山首相
- 戦争状態の解消から始めることを主張する慎重派の重光外相と、平和条約締結を目指したい急進派の河野農相の対立
- 領土問題をめぐって交渉決裂した日ソの初期交渉
第一次ロンドン交渉(1955年6月~9月)
- 日本側が提示した主要論点
- 抑留者問題:優先解決を求めたが、ソ連と対立
- 北方領土問題:ソ連側はヤルタ協定・サンフランシスコ平和条約で領土主権は確定しているという見解
- 軍事同盟:日米同盟解消を要求
- 交渉の膠着状態に対して、ソ連のマリク全権がほのめかした妥協案
- 妥協案に対する日本政府の意向と、ソ連の態度硬化
- ソ連が主張したサンフランシスコ講和条約に基づく領有権に対する米英仏の見解
保守合同と日ソ交渉
- 保守合同:鳩山首相の民主党と吉田内閣の残党である自由党との合同
- 日本初の単一保守政党である自民党
- 保守合同後も残った感情的なしこりと、日ソ交渉への影響
第二次ロンドン交渉(1956年1月~3月)
- やはりネックとなった領土問題(国後・択捉の領有権)
- おおむね合意できた論点と、未解決の論点
- ソ連が日本の足元を見た漁業権問題
第一次モスクワ交渉(1956年7月)
- 首席全権に就任した反対派の重光外相
- 重光外相の交渉姿勢と、冷めきった融和モード
- ソ連側が提示した最大限の譲歩条件
- 膠着した交渉で突如態度を豹変させた重光外相
第二次モスクワ交渉(1956年9月?10月)
- 国交正常化の決定打となった鳩山首相からブルガーニン首相宛の書簡
- 書簡における領土問題の位置づけ
- 日ソ共同宣言に対する中国(周恩来)の反応
- 鳩山首相が日ソ国交正常化交渉において発揮した熱意の源泉
ロシアに詳しい元外交官の佐藤優さんによる解説
- 外務省の語学閥と、他の語学閥とロシア語グループの特異性
- 日ロの戦略的提携強化を目的に北方領土問題を解決しようとした3人の首相(橋本・小渕・森)
- エリツィンもプーチンも乗リ気であったが、結果として頓挫してしまった最大の理由
- 北方領土問題のルーツである日ソ共同宣言