魔窟とも言われた香港の九龍城の住人へのインタビューや、在りし日の写真集。香港の本土返還に伴い取り壊されてしまっているけど、その怪しさに妙に惹かれるのです。
もともとは、イギリスの香港占領に対する中国の前線基地だった(文字通り九龍”城”だった)地区が、イギリス統治下において治外法権化(中国人街化)したのがルーツ。最終的には、東京ドーム0.6個分ほどの面積に350くらいのビル群が密集し、33,000人が住んでいたそうです。無法地帯とか、犯罪の巣窟のようなイメージがあるけど、幼稚園や教会・自治会・様々な工場・病院があったりと近代都市として自給自足・自主規制が機能していたという側面も持つのです。”魔窟”であっても、人間が寄せ集まって生活するには一定の秩序が必要ということなんでしょうね。
香港というと、一昔の映画などでは林立するビルすれすれに飛行機が飛んでいる写真・映像が有名だと思うのですが、これこそが香港啓徳空港を目指す飛行機が九龍城や香港のビル群の上空を横切っている様子なのです。
【ソース】
残念ながら、香港がイギリスから中国に返還される際に九龍城は取り壊され、市街地中心部にあった啓徳空港は、香港国際空港として海岸部に移転してしまったので現在は見ることができないのです。僕がバックパッカーやってた2000年あたりでは九龍城跡地はきれいな公園に生まれ変わっており、当時を偲ばせるものはほぼ跡形もないのですが、香港の有名な安宿街の”重慶マンション(チョンキンマンション)”は九龍城的な雰囲気を少し残しているのかなぁと感じました。

【ソース】
ちなみに、当時世界三大バックパッカー街と言われていたのが、ニューデリーのパハールガンジー地区のメインバザール・バンコクのカオサン通り・香港の重慶マンション周辺でして、一通り制覇した(特にカオサン通りは10回くらい行った気がする)のですが、この話はいずれどこかで。

もともとは、イギリスの香港占領に対する中国の前線基地だった(文字通り九龍”城”だった)地区が、イギリス統治下において治外法権化(中国人街化)したのがルーツ。最終的には、東京ドーム0.6個分ほどの面積に350くらいのビル群が密集し、33,000人が住んでいたそうです。無法地帯とか、犯罪の巣窟のようなイメージがあるけど、幼稚園や教会・自治会・様々な工場・病院があったりと近代都市として自給自足・自主規制が機能していたという側面も持つのです。”魔窟”であっても、人間が寄せ集まって生活するには一定の秩序が必要ということなんでしょうね。
香港というと、一昔の映画などでは林立するビルすれすれに飛行機が飛んでいる写真・映像が有名だと思うのですが、これこそが香港啓徳空港を目指す飛行機が九龍城や香港のビル群の上空を横切っている様子なのです。
残念ながら、香港がイギリスから中国に返還される際に九龍城は取り壊され、市街地中心部にあった啓徳空港は、香港国際空港として海岸部に移転してしまったので現在は見ることができないのです。僕がバックパッカーやってた2000年あたりでは九龍城跡地はきれいな公園に生まれ変わっており、当時を偲ばせるものはほぼ跡形もないのですが、香港の有名な安宿街の”重慶マンション(チョンキンマンション)”は九龍城的な雰囲気を少し残しているのかなぁと感じました。

【ソース】
ちなみに、当時世界三大バックパッカー街と言われていたのが、ニューデリーのパハールガンジー地区のメインバザール・バンコクのカオサン通り・香港の重慶マンション周辺でして、一通り制覇した(特にカオサン通りは10回くらい行った気がする)のですが、この話はいずれどこかで。