現代数学を先取りする理論を構築するも決闘で若くして亡くなった天才数学者の生涯。孤独な天才数学者と激しい政治活動化という二面性は、7月革命やコレラの蔓延など激動の時代ゆえなのかもしれません。いずれにしろ、「時代に殺される」というのは悲しいものです。

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この本を読むとわかること
少年時代
- ガロアの21年間の生涯はフランス革命以後の動乱のフランス
- 「レ・ミゼラブル」の時代
- ナポレオン支持者だった父の自殺が落とした暗い影
- ナポレオンの失脚に伴う自殺
数学との出会い
- 落第したガロアが出会ったルジャンドルの「幾何学原論」
- 通常2年かけてマスターする本を数日で読破
- 高等数学に孤独に没頭
- 学校の指導要領の枠を超え専門書や論文と格闘
数学史的背景
- 大きく4つに分離される西洋数学の歴史
- ユークリッド原論などギリシャ・メソポタミア・エジプト古代文明からの源流
- 先進的かイスラム世界の数学を取り込んだ12世紀ルネサンス
- 文字式の登場により抽象化・モデル化が進んだ17世紀
- 「式」から「概念」という一段高い視点に上がり構造的数学が始まった19世紀
- ガロアが生きたのは19世紀の転換点前夜
- ガロアの業績の1つが「代数方程式の代数的可解性」
- その方程式が解けるか解けないかを証明
- ガロアと同じ時期に生きたもう1人の数学の天才アーベル
デビューと挫折
- 標準的な数学を学んでいなかったため理数系大学の受験に失敗
- 高校に残留するも、メンターとなる教師と出会う
- 高校で書いた論文が専門誌に掲載される快挙
- 数々の不幸が重なり評価されず
1830年
- フランス近代史上最も治安維持が難しかった1830年代
- 共和派・ボナパルト派のレジスタンス化
- 学校に軟禁され7月革命を無為に過ごしたガロアの政治活動への傾倒
- 19歳で高校を放校
1831年
- 共和派の宴会でガロアが提起した国王暗殺と逮捕・投獄
- ガロアの中の2つの人格
- 数学の追求と抑圧への抵抗
- 獄中で進化したガロアの数学
- シンプルさ・直観的さゆえに誰にも理解されず
- 現代数学の群論・集合を先取り
- 数学的難しさをそれに付随した対称性からなるシステムの構造で記述する「ガロア理論」の完成
1832年
- コレラと暴動の年となった1832年
- 裁判の代わりにもなっていたヨーロッパにおける決闘
- 84の規則が書かれた「決闘章典」
- 全く予想されていなかった決闘に巻き込まれて命を落としたガロア
- 陰謀説・自殺説・恋愛説
- 明確な記録がないが、女性を巡って共和派内で起こった私闘という見方が有力
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