主に江戸時代に舵の損傷などによって漂流した様々な漂流民の話。海流の関係で漂流船が漂着しがちな「鳥島」や、図らずも世界一周してしまった漂流民、ペリーに連れられて帰国しようとした漂流民など「漂流」という切り口でまとめたニッチな渋い本です。最近の研究で織田・豊臣・徳川の背後にオランダとスペインの覇権争いがあったという話もあるように、西欧の海洋進出は江戸時代の日本にも様々な影響を与えていたのです。

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この本を読むとわかること
督乗丸の謎
- 伊豆の沖合で難破した尾張の樽廻船「督乗丸」は1年4か月もの長期間海上を漂流
- 鎖国による海外渡航の禁止や大型船の建造禁止により、瀬戸内沿岸航海用の弁才船が当時の船のデファクトスタンダード
- 船体に比して舵が大きく、壊れやすいという欠点
- 和船の漂流の原因の十中八九が舵の破損
- 舵が破損し回転し始めた船の勢いを抑えるために帆柱を切るのが江戸時代の常識
- 結果、コントロールが効かなくなり潮に任せて漂流することに
- ヨーロッパのような航海技術を持たない和船は船の進路を「おみくじ」で決定
- 「おみくじ」自体は船長が作るので、結果はある程度船長でコントロール可能
- 漂流者の生き残りに共通している精神力の強さ・状況に合わせられる柔軟性・鈍感力
- 漂流後しばらくして発生したビタミン不足による壊血病と死者の多発
- 漂流船の船底に海藻が生え、微生物が集まり、それを狙った魚を釣ることで食糧難が解消
- カリフォルニア沖でイギリス船に遭遇・救出される
- ロシア船に乗って無事帰国
- 漂流者がは帰国後武士に取り立てられる
- 抜擢ではなく藩外に居住しないようにするための措置
- 漂流によって海外を見てしまった民の監視と飼い殺し
無人島物語
- 江戸時代の船乗りが何度も漂着した南海の孤島「鳥島」
- 断崖絶壁で人の侵入を拒むような形状の島
- 文字通りアホウドリの群れが住む鳥の島
- 20年間島で過ごし生還した漂流者の生き残り3人は将軍吉宗に謁見し、ちょっとした無人島ブームが発生
- ろくな作物のない島に偶然漂着した米俵の籾米によって始まった農業
- 漂流者は帰還時に火打石や鍋などの道具をわかりやすい洞窟内に残し、それを次の漂流者が使うという時代を超えた資産の継承
- 「自分たちで船を作って島から出る」という希望と決心
- 乗ってきた船や漂着物などを加工して6年がかりで建造
- 具体的なゴールを設定したことで士気が高まり死亡率も低下
- 幕末に捕鯨目的で日本近海に現れたアメリカ船に救われたケースも
- 開国や造船技術の高度化により漂流は激減
日本人最初の世界一周
- 1806年に日本人として初めて世界一周した4人の仙台からの漂流民
- 毛皮を求めて始まったロシアのシベリア進出
- ロシア東方進出に必要な日本語教育の教員となった漂流民たち
- ロシア日本語学校の歴史はロシアによる漂流民利用の歴史
- 日本で書かれた和書を翻訳し、ヨーロッパにおける東洋学の発展にも貢献
- 正装してロシア皇帝に謁見した日本人漂流民たち
- 国賓として扱われ皇帝から金時計を拝受
はじめてのアメリカ
- 外国船が日本に接近し始めた幕末期にアメリカに漂着した日本人たち
- 漂流民をアメリカ沖で救ったのはスペインの札付きの密貿易船
- 密貿易船から降ろされメキシコで暮らした漂着者たち
- 住民に溶け込み、体系だったスペイン語を習得
- マカオに行くアメリカ船があることを聞き、マカオに渡り中国から帰国
韃靼漂流記
- 鎖国体制が完成した江戸初期に越前から漂流し、中国東北部に漂着し、北京・ソウル・対馬を経由し帰国
- 清が明を亡ぼして北京入城を果たす歴史的転換点に偶然立ち会った漂着民たち
- 越前の漂着民は鎖国下で密貿易をしていた承認である可能性
- 中国側の記録には「商談がこじれて斬り合いになった」という記載
- 明を討ち果たし中国を統一した直後という時代背景もあり厚遇された日本人
- 創業間もない清朝が日本に威と徳を示すために厚遇した可能性
- 清から日本人の送還を頼まれ苦境に立たされた朝鮮王朝
- 清に朝貢する立場なので断れない&秀吉の朝鮮出兵以来日本との国交は断絶
- 貿易という共通の利害によって交流を維持していた朝鮮と対馬藩が編み出した「通信使」という国交
- 幕府と朝鮮の独特な外交形式を理解しないまま朝鮮と外交し、結果として征韓論を招いた無知な明治政府
「英国市民」力松の孤独
- ペリーのサスケハナ号に同乗してきた日本人漂着民
- ペリーとしては開国交渉の道具
- 元漂流民でアメリカ船モリソン号に乗って日本に帰ろうとしたものの異国船打ち払い令によって砲撃を受けた力松
- 二年近い西欧文化との接触は力松を西欧的な人間に変えてしまい、その後接触した日本人漂流者との間に目に見えない溝ができる
- 日本に開国を迫るアメリカ・イギリス・ロシア船の通訳として従事するも純粋な英国人でも日本人でもないため孤独にさいなまれた晩年
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