現代同様、江戸時代においても藩の財政再建には支出の削減と収入の増加というオーソドックスな方法が使われていました。これだけで財政再建できるほど当時の台所事情に余裕はなく、「プラスアルファのひとひねり」ができた藩主・家老が名君・名家老と呼ばれているのです。


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この本を読むとわかること
章立てとポイントはこんな感じでした。江戸時代というと古臭い前時代的なイメージがありますが、”財政再建”という悩みと対策は今も昔も変わらないのです。愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶのです。危機的状況の時の役割
- 幕府が採用した米による「石高制」という経済システムの大きな矛盾・欠陥
- 時代とともに変化した「名君」の条件
- 江戸初期・江戸中期・江戸後期の藩主に求められた役割
名補佐役の条件
- 失脚しかけた石田三成をあえて助けて、関が原の戦いを演出した本多正信
- 太平の世を見据えて伊達正宗の教育に武官・文官をバランス良く配置した片倉小十郎
- 寄せ集めの新興プロジェクトのような紀州藩の船出
- 戦国から江戸初期の「武士道」と、江戸中期以降に再解釈された「新たな武士道」
- 統治のために行われた論理の転換
- 領地が1/4に減封された上杉家の財政を再建した直江兼続の施策
- 平時の名君と非常時の名君の違い
- 細川重賢が藩政を立て直した「宝暦の改革」
財政再建の秘策
- 元禄時代に全国に伝播した「金遣い経済」と藩財政への影響
- 参勤交代のもたらした弊害
- 関ヶ原の戦いで領地を1/4にされた長州藩の裏予算(特別会計)
- オーソドックスな政策で藩を立て直した村田清風の改革
- 私塾において周布政之助・吉田松陰を輩出し、明治維新の源流を作った村田清風
- 実は勤勉ではなく、商人的発想をもつ財政再建家だった二宮金次郎
- 複数の藩や幕府を渡り歩き、傾いた財政を再建した手腕
- 幕末の佐幕派・倒幕派の対立のきっかけとなった山内容堂の藩主就任の裏側
- 容堂を支えるとともに、私塾で板垣退助・後藤象二郎・岩崎弥太郎らを輩出した吉田東洋の改革
- 財政破綻しかけた薩摩藩を幕末の雄藩に変えた調所笑左衛門の改革
- 備中松山藩を立て直した山田方谷の辣腕
- 米本位制から金本位制へのパラダイムシフトとも言える転換
- 新規事業に投資し、備中鍬を開発
責任の取り方
- 主君への忠義ではなく、世間に対するメンツを立てるために行われた赤穂浪士の討ち入り
- もう1つの忠臣蔵「深堀義士」
- 夭折しなければ西南戦争を防げてであろう薩摩の名宰相小松帯刀
- 土佐脱藩の坂本竜馬らをかくまい、亀山社中を設立、薩長同盟を支援
- 米沢藩における10年・20年先を見据えた財政再建策示
- プロジェクトファイナンスと、加工貿易の導入
成功と失敗の条件
- 目先の飯ではなく、同じことにならないよう人材を育成すべく学校を建設した長岡藩の「米百俵」
- 1人に権力が集中しないようにナンバー2を複数配置する幕藩体制下の手法の弊害と君主の役割
- 絵師として有名だが、名家老でもあった渡辺崋山
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