三途の川の渡し賃として銭貨6枚を埋葬する「六道銭」という風習を切り口に、古代から近世までの経済・銭貨の流通を探る。出土した銭貨だけで当時の時代背景・経済政策がいきいきと描き出されるのが面白い。「ビタ一文」の語源も分かります。


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大規模な銭貨の発行ができたのは律令政権と徳川幕府だけであり、戦国大名も織豊政権も実用的な銭貨を発行できなかったという事実からも通貨を発行・維持すること経済的負担の大きさが推し量れます。現代において米ドルが実体通貨になっている国があるのは同じような事情なのだろうと思います。昔バックパッカーだった頃に旅したカンボジアやフィリピンでは現地通貨より米ドルが流通していた記憶があります。
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大規模な銭貨の発行ができたのは律令政権と徳川幕府だけであり、戦国大名も織豊政権も実用的な銭貨を発行できなかったという事実からも通貨を発行・維持すること経済的負担の大きさが推し量れます。現代において米ドルが実体通貨になっている国があるのは同じような事情なのだろうと思います。昔バックパッカーだった頃に旅したカンボジアやフィリピンでは現地通貨より米ドルが流通していた記憶があります。
この本を読むとわかること
- 古代律令政権(奈良・平安時代の朝廷)・中世武家政権(鎌倉幕府~織豊政権)・徳川幕府の貨幣に対する政治的・経済的スタンスの違いは?
- 和同開珎より古い日本最古の鋳造貨幣である「富本銭」は何のために鋳造されたのか?
- 古代律令政権はなぜ銭貨鋳造に力を入れたのか?
- 中世の銭貨は備蓄銭として甕などに入って大量に出土するが、備蓄銭の目的とは何か?また、なぜ埋められたままだったのか?
- 備蓄銭は15世紀にピークを迎え、16世紀になると廃れていくがその時代背景とは?
- 徳川幕府が品質の高い永楽通宝ではなく、300年以上使われ磨耗の激しい渡来銭(明や唐から輸入された銭貨で、鐚銭(ビタセン)と呼ばれていた)優先するような貨幣政策をとったのはなぜか?
- その後、渡来銭から徳川幕府が鋳造した寛永通宝への切り替えを一気に実現するために幕府が行った貨幣政策・経済政策と時代背景は?
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