拷問という究極の手段に対して、差し迫った状況において必要な情報を得るために拷問が唯一の手段になることはあるのか?拷問は道徳的に許されるのか?道徳的に許されるとして拷問による尋問は成果をもたらすのか?拷問を利用することで自由を尊重する社会の基本理念が侵害されるのではないか?といった根源的な問いに対して様々な角度から検証しています。


↑気になったらここからポチっと↑
昔、中学か高校の授業で「ブレーキの壊れた列車に乗っていてそのままだと群衆に突っ込むけど、線路を切り替えることでそっちにいる1人(作業員だったか老人だったか)を犠牲にするという選択肢もある。線路を切り替えるか?」っていうテーマでディベートしたことを思い出しました。当時の僕は「群集と1人だったら群衆を救うべき」という功利主義的な主張をしたような記憶があります。
「拷問を是とするか」は同じように利得の最大化(=損失の最小化)の論理である功利主義的な立場と、人権・倫理的な立場で議論が分かれるのだろうと思います。この本を読む前は、「1人を拷問することで多くの民衆が救われるのであれば拷問賛成。ただし、アブグレイブ刑務所のような暴走を防ぐために国家・法による厳格な管理下で行う必要がある。」という考えでした。
本書の「差し迫った脅威自体を国家が事前に察知することは困難だし、拷問の対象者が本当にテロリストかを拷問前に見極めることも難しい。」また、「仮に拷問の対象者がテロリストだったとしても拷問に対する訓練を受けているし、自身の目的達成の時間稼ぎのために嘘をつく可能性もある。拷問によって真実を引き出せる可能性は低い。」というのを読んで考えが少し変わりました(人道的になりました)。
↓気になったらここからポチっと↓
↑気になったらここからポチっと↑
昔、中学か高校の授業で「ブレーキの壊れた列車に乗っていてそのままだと群衆に突っ込むけど、線路を切り替えることでそっちにいる1人(作業員だったか老人だったか)を犠牲にするという選択肢もある。線路を切り替えるか?」っていうテーマでディベートしたことを思い出しました。当時の僕は「群集と1人だったら群衆を救うべき」という功利主義的な主張をしたような記憶があります。
「拷問を是とするか」は同じように利得の最大化(=損失の最小化)の論理である功利主義的な立場と、人権・倫理的な立場で議論が分かれるのだろうと思います。この本を読む前は、「1人を拷問することで多くの民衆が救われるのであれば拷問賛成。ただし、アブグレイブ刑務所のような暴走を防ぐために国家・法による厳格な管理下で行う必要がある。」という考えでした。
本書の「差し迫った脅威自体を国家が事前に察知することは困難だし、拷問の対象者が本当にテロリストかを拷問前に見極めることも難しい。」また、「仮に拷問の対象者がテロリストだったとしても拷問に対する訓練を受けているし、自身の目的達成の時間稼ぎのために嘘をつく可能性もある。拷問によって真実を引き出せる可能性は低い。」というのを読んで考えが少し変わりました(人道的になりました)。
この本を読むとわかること
以下のような根源的な問いに対して様々な角度から検証しています。- 差し迫った状況において必要な情報を得るために拷問が唯一の手段になることはあるのか?
- 拷問は道徳的に許されるのか?
- 道徳的に許されるとして拷問による尋問は成果をもたらすのか?
- 拷問を利用することで自由を尊重する社会の基本理念が侵害されるのではないか?
↓気になったらここからポチっと↓