”愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ(ビスマルク)”というので、歴史の勉強。
歴史は繰り返すもので、過去の出来事を”古臭い昔のこと”と考えずに、現代との対比や別の時代の出来事と比べて考えると色々と気付きがあるものです

歴史は繰り返すもので、過去の出来事を”古臭い昔のこと”と考えずに、現代との対比や別の時代の出来事と比べて考えると色々と気付きがあるものです
- 蘇我氏が勢力を強化したのは、当時の先進国から来た渡来人を支配下に置いたからであり、現代で言うとシリコンバレーのトップ技術者を招聘して囲い込むようなもの。
- 小野妹子時代(607年)の遣隋使たちは30年間先進国である隋で学び、645年の大化の改新やその後の律令国家において国の制度設計などに力を発揮したというのは、一昔前のアメリカ帰りのMBAのようなもの。
- 墾田永年私財法などで土地の私有化が認められるようになると貴族・寺社による荘園の形成が始まったというのは、財閥の形成に似ている。
- 院政を敷き天皇の後見人としてふるまった上皇は、T芝の会長みたいなものとも言える。
- 承久の乱は朝廷の復権を願う後鳥羽上皇が起こした武家政権に対する反乱であり、在郷武士や僧兵の力を借りて鎌倉幕府を倒そうとした。結果、北条氏に返り討ちにあい計画は失敗したが、最初の討幕運動と言える
- 失敗はしたものの明治維新とやり口は同じ=明治維新で幕府側が勝っていたら、鎖国が続くか更なる不平等条約を結ぶかで、日本が欧米の植民地になっていた可能性があるよね。
- 戦国大名は分国法(国ごとの法律)を作ることで、荘園制などの複雑な支配体系を見直したというのは、社内改革やM&A後のPMIに通じるところがある。
- 諸大名は幕府の統制下での自治が認められたというのは、会社組織におけるグループ会社だったり事業部制のようなもの。
歴史に”たられば”は良くないけど、例えば元寇のときに嵐が吹かなければ九州あたりが元の植民地になっていたかもしれないし、太平洋戦争はあれほど泥沼化しなかったかもしれないなぁなどと思うのです(”神風思想”のルーツは元寇の大嵐なのです)。
ちなみに、1回目の元寇である文永の役は1274年、”パンツなしで来た”と覚えましょう)。2回目の元寇である弘安の役は1281年、”今度はパンツはいてきた”と覚えましょう)。
また、日本史単品ではなく、世界の流れと連動して見ることが大事なのです。
例えば、
ヨーロッパでの宗教改革
→プロテスタントの勢力拡大
→カトリック一部での反宗教改革(カトリック内部での改革運動)
→ヨーロッパでの失地回復を企図&時代は大航海時代
→東洋・アメリカ大陸への布教活動
→ザビエル来日